クローゼットの中身

自分の所有するものをよりよく、よりたくさんにするというのは
充足を構成する要素かもしれない。
けど目を閉じて自分の部屋のクローゼットの中身を完璧に諳んじることができるかというと自信がない。
Evernoteに一度持ち物全てを書き出して、買い足したり処分したりする度に更新しているのだが
動きのあるものとそうでないものとがあって所有の概念がそもそも微妙なことに気づいた。
諳んじることができないクローゼットの中身は、多かれ少なかれかつて自分が欲したものたち。
日常の流れの中で忘れ去られて埃が被ってしまっても、依然としてそこで出番を待っている。
完全なミニマリストではないけれど、欲した者の責任として所有するものを把握して
最大限活躍させてあげることと手にする機会がないのなら有効活用してくれる人へと
渡していくといいのかもしれないなと思っている。
断捨離って言って捨ててしまうのは簡単だけど。
好きなことで生きていくというフレーズが掲げられて、新時代っぽいなと思った。
けど究極何をしているかいないかは、生きているということと無関係だとという考えに至った。
やらされていることではなくて、やりたいことで収益を上げるっていうのは素晴らしいと思う。
会社に入れば経営方針、学校にいけばカリキュラム、教会に行けば経典・聖典とマニュアルに沿ってかなりの行動/倫理規範が定められている。
そのルールの裁量をできるだけ大きく自分でコントロールして、アウトプットにも責任を持つと。
やりたいことって何かの対価と関係なしにやるはず。
小さめの子どもを対象にした実験で、報酬を与えるとモチベーションが下がった話や
グーグルだかなんだかの会社で自由時間の自由な作業時間で新規事業が生まれる話があった。
動画を撮ってオフラインで編集して溜めていくのだって突き詰めていったら結構楽しそう。
自己実現、自己表現、セルフエンプロイメント、プレゼンテーションがグラデーションでパッケージされていく。
中心に据えられた”自分”を定義しようとすると、自ずと”自分以外””他者”が必要になるわけで、
一切合切セルフプロデュースで自給自足することはできない。
手っ取り早くなにやってても関係なく満足できるポイント見つけていくのが近道なのかも。
理想形を持っておくのはとてもいいと思ってるけど、なんだかそれってもっと身近なところにあって最果てみたいな未来にはない気がするな。
それこそクローゼットの中にしまってあったりして。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする