カントリーロード

夏だ!ということで朝起きたら産業道路を通り抜ける光景が目に浮かんだので、
自転車に飛び乗って速攻出かけた。洗濯物や掃除を片付けた2時間を差し引いての速攻だけど。
今住んでいるところに引っ越してきて20年超が経つけど、隣の区がやっぱりまだ
自分のなかでは最初のワクワクしたこととか寂しかったこととか怪我をしていたかったこととか
そういう原始的な感情のスタート地点として強く意識されている。
何かちょっと迷うことがあると必ずと言っていいほどさまよってここへとたどり着く。
たどり着くというか素通りすることが多々あるけれど。
その途中で思い出すために作ったような出来事の数々が思い返された。
理由もなくけど無性にどこかに行きたい、誰かに会いたい、これが欲しいと思うとき、
その時はよくわからなくても後から思い返すと明確にそれとわかるものだったりする。
ずっと前に蒔いた種が急速に芽吹いては花咲かせている。
一つひとつにありがとうとお別れをいうことで、その実を摘んで、花を慈しんでいる。
例えばパーティ会場でふとこの人と話すためにここへ来たと思えるような瞬間。
そういう機会はどんどん減っていくけど、それは気付こうとする目を自らシャットアウトしていっているからだと気付いた。
すごく身近に共有できる人がいてまたもや感動している。
これだ!と思えるような音と音のぶつかり合いを体験すると、広がっていくのを感じる。
ずっと知っていたような感覚。あの空間をずっと作っていたい。
そうしてシーンは自転車に飛び乗る瞬間に戻る。
ひょっとしたら進むと決めたとき戻ってくるのを当然知っているのと同じように
全て織り込み済みなんじゃないか、狙って外して望んで手放してるのではないか。
どんなに横道に逸れたように見えても、それのためとしか思えない瞬間に出会える。
そんな傾向が、最近は顕著だ。

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