ミュージックオブサウンド

音楽は好きで好きな音楽があって、それがあると幸せだなぁと感じます。
でも音楽以前に五感で感じる音そのものが好きなので、自分が好きと思える音をまず見つけていきます。
ギターはもちろん好きだけど、その中でもアコギでは特にこれとかエレキでもこれ!というのが結構あるわけです。
人の声とかはかなりはっきりしていてて、もっと聞いていたいって感じるかどうか明確です。
けど感情的な要素で少し好きになったりそうでもなくなったりもするから面白いです。
かなり傾向はわかってるんですけど、例えば生活音で偶然カップが金属に当たる音とか、雨音が窓の桟に当たる音とかあるわけで。
それが継続的に鳴ってたらICレコーダとかアイフォンとかで録っていくっていう。
サンプリングしてどうとかっていうより、単純に音フェチなのでそれだけで幸せです。
見た目の好みとか演出の仕方はかなり恣意的にコントロールしていけるけど、
目を閉じることより耳を塞ぐことの方が難しくて、もっと原始的な感じしますよね。
もっと昔自然の中で暮らしていたときなんかは、闇夜で近づいてくる自然の脅威や変化に気づくのは音だったでしょう。
昔の方がより遠くまで見えたとしても、音でその存在が自分にとってどうなのかもかなりわかったはず。
舌とか嗅覚も生命維持に直結してたと思うけど、それはもっとダイレクトで触れてるか触れそうなくらい近い。
それと現代では食って死ぬことはないからめちゃくちゃ退化している気もしますね。
聴覚っていうのは実は発達初期で言語的な特性が定まった後ではほとんど退化しないという。
視覚は視力が悪くなったりとかとは別に、見たくないものを見たり見たいものだけ目に入りまくったりしますが、
聴覚はそれがもう少し緩やかで受動的なところが気に入ってますわ。
全然違うタイプの宇宙人が人間の体に入って獣数年経って、
やっぱ目も好きだけど、耳ってもっといいよねぇっていう感覚に近いかもしれない。
逆に考えてしゃべって伝えて、その感想をもらってその都度修正して伝えて・・・
っていうのはめんどくさいねぇっていう感じ。。
嫌いではないけどできれば避けていたいというか。
ただ自然と入ってくる音を少しずつフラットに選んでいって、一番ここちいいポイントを探し当てるっていう
なんていうか人生全体もそういう感じだなぁって今は思っています。
人によってその優位性が違うから(極端に言えば聞こえない、見えないとかもあるわけで。。)
思考や嗜好による志向や試行が変わってくるわけですな。
だから自動選択的で受動的でなんか変な好みがあるって思われたとしても
その理由はかなり自分では納得できるレベルで落とし込めていて、変えるつもりも理由もないなぁって感じですね。
良し悪しではなくて視覚優位性の人基準になっている気がする。
一番苦労してきたであろう人は受動的かつ身体性優位な人じゃないか?と思う。
誰よりも独創的だけど伝える術がというか伝わるモダリティがそもそも他人にはほとんどないから。
流行るファッションスタイルを取り入れるのは視覚優位性のヒトが一番うまいけど、
自分流を見つけていくのは身体性のヒトだと感じるし。僕はどっちも低いのでそこそこだ。
身体性で能動的な人はダンスとか運動とか華々しい感じ。全身で表している感じ。
自分はそれらの中間層のそこそこいるよねぇっていうヒトだったんだろうなぁ思うと納得する。
途中からどんどんそうなったと思うな。視覚優位性がガクッと落ちて。
マイケルジャクソンってそれらが(味覚とかは知らんですが。多分繊細だったのかな?)
全モダリティですごい高いレベルだったんじゃないかと。
目も耳もセンスも独特でいいよねっていう。
生まれ育ちでほとんど決まってしまうきがするけど、自分の運命に抗いながら受け入れていけば
少しずつ変わっていけるのかも。。。鏡の中のヒトは・・・
で、音が好きって話ですけど。
他人のことを考えるとか、相手の立場になって考えろとかいうけどそれって基本無理なんですよね。
他人だから。
で、何ができるのかって言ったら自分です。
自分がどう感じて、それによってどういう考えが生まれて制限されてしまうのかをミクロマクロで精査しまくる。
どういう考えをするか、なんてほとんど捉えられないですよ。考えは心が自動でしゃべり続けるから。
まぁ瞑想とか座禅でダイレクトにつかんでは手放していくこともできるけども・・・
それよりもどんな体の感じか、とかどういう生まれ育ちをしているかを徹底的に振り返って
生活の中での癖とか嫌なものとか好きなものをどんどん上げていってなんでだろう?って疑問をぶつけていくという。
そうすると自分なりの幸せっていう形が見えてきて、絶対それはヒトとは違うわけだから、
他人の粗探しとかそれはおかしいっていう感覚が自ずと消えていくわけです。
で、想像してみようってなるわけです。
あなたはどう感じるだろうっていうのを行動や話し方や色や形の選び方から逆算していくわけです。
およそ及ばないところに着くと思うけど、まぁ他人だから。
そこで初めてあいての幸せとか抽象的なものに出会っていける。自分とこんなにも違うってなると。
あるいはとてもにているという感覚になることもあります。
その場合はきっとファーストコンタクトで無意識がつかんでるので、そこに理性や心が追いつくだけのプロセスっていうことになるわけでしょう。
っていう全体的なまとめがあって、これがだいたい19~21歳くらいになんとなく行き着いていて。
それに最近生まれ育ちの中身がどういう要因なのかがかなりはっきりわかりました。
単純に家族構成の中でどんな役割を担ってきたかということでした。
それが自分だけの個人内ではなんとも言えない面白い要素です。
その構成する家族が家族の中でどのように振る舞うべくして振舞ってきたかも影響してくるんです。
親だって兄弟や子どもだったことがあるから。
フリッツ・パールズのエンプティチェアみたいな内的な役割をシフトするワークが効いてくるわけです。
あるいは影の投影みたいな。ディスアイデンティフィケーションとかいう。
これって夫婦とか友達とか恋人とかでやるより家族や兄弟でやってみたほうが格段にはっきりする気がします。
心理臨床で劇的な気づきとか回復をしてるのって娘→母とか男→父親の葛藤が氷解する場面多いし。
もしかしたら誰かがどっかで愛着理論みたいに実証してたりするかもしれないですけど、
なんか自分で気づいて「もしかして、これってこうじゃねぇ?」みたいな話を
すごい付き合いの長い友達として「あぁ!そういうことか!」って納得しあえたのは
そうとうでかいことだったなぁと思います。
で、その先はですね。
多分そこをどう変えたらどういう風に人生の進み方が変わっていくかも自ずと明らかになっていくんでしょうね。
え?なんでそんな消極的なのってそりゃあ聴覚優位で受動的な、流れるままに良さげな方へいくだけのタイプなんで。
がっつりと追求して取りに行っって獲得していってみたいなのは性に合わない。
性に合わないなら合わせなくたっていい。
でも合っている形で会っていく。っていう感じですね。
音を選ぶっていうのはそういう感覚で、羅列して音楽に聞こえるけど、
それぞれ一つひとつは無色の音でできているんだよなぁっていう感じです。
かっこいい曲とか綺麗な音階とかテンポいいリズムとかももちろん好きですが、
独立してマイナーでもメジャーでもない単に音そのもの、周波数が可聴域に入っただけなもの。
それ単体で愛せる。

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